漢方でおなじみの高麗人参は古くから韓国・中国で親しまれ現代になっても人間の健康を支える万能薬として利用されています。

そんな高麗人参ですが、栽培や保存方法が難しいことから日本では今だに手軽に入手することはできない印象が強いです。ただし、日本は入手困難なことにも関わらず、高麗人参が日本でも根付いているのには理由があります。

高麗人参が日本に知れ渡った歴史をたどってみると奈良時代にまで遡り、あの豊臣秀吉や徳川家光も高麗人参を愛用していたそうなんです。しかも、当時の天皇への献上品とされるくらい希少価値が高かったようです。

この記事では今も昔も万能薬や長寿のための生薬として親しまれている高麗人参の知られざる歴史と、その幅広い効果について解説していきたいと思います。

高麗人参が日本にやってきた奈良時代

奈良時代の人

高麗人参が朝鮮半島から日本に渡ってきた時期についてですが、「続日本紀」によると739年といわれており、それは天平11年の奈良時代にあたります。

当時渤海国と呼ばれる、日本海の先にある満州から朝鮮半島北部、現ロシア沿岸地方にかつて存在していた国家の文王が使節を派遣して来日し、高麗人参を30斤(当時223g)を聖武天皇に贈ったといわれています。

その際に、日本からは返礼として銀が贈られています。
そして、その貴重な高麗人参は今でも奈良県奈良市の北北西に存在する正倉院にその時代野生で摂れたと思われる高麗人参が保存されているといいます。

あの徳川家康も愛用していた「高麗人参」と日本の歴史(戦国時代~江戸時代)

高麗人参は日本に渡ってからさまざまな将軍にその効果を見初められ、日本での栽培が研究され高価なものとして扱われます。その歴史を紐解いてみましょう。

高麗人参を愛用していた将軍①『豊臣秀吉』

1592年の豊臣秀吉の時代に朝鮮出兵へ出かけています。当時の高麗人参は金銀に匹敵するほどとても希少価値が高く、朝鮮出兵を実行した際には高麗人参略奪の目的もあったととさえいわれていて、豊臣秀吉はその際に高麗人参の種を持ち帰っています。

その後、黒田官兵衛という大名が豊臣秀吉の意を受け、栽培に対する研究に研究を重ね、農園を作り漢方生薬栽培に臨んだそうです。

高麗人参を愛用していた将軍②『徳川家康』

徳川家康

豊臣秀吉の朝鮮出兵後、日本と朝鮮との国交が始まり、朝鮮通信使と呼ばれる日本へ派遣された使節団より高麗人参の貢納を受けます。

そんな高麗人参を愛用していた、健康マニアとしても名高い徳川家康は、高麗人参を肌身離さず持っていたというエピソードがあります。戦国時代の将軍たちは長い戦いに備え健康維持には格別の注意を払っていたそうなので、それほど高麗人参の効能や薬効を高く評価していたのかもしれません。

その成果からか、当時の平均寿命は45歳なのにもかかわらず、徳川家康は75歳まで存命したそうです。

(余談ですが、徳川家康は何人もの子孫を持っていましたが60歳になっても子どもができるという驚異の体の持ち主だったそうで、これまた驚きです)その後、徳川光圀が高麗人参の栽培に取り組むものの、やはりその栽培の難しさから失敗しています。

高麗人参を愛用していた将軍③『徳川綱吉』

1685年の貞享2年の徳川綱吉の時代になると、高麗人参は高貴薬として流通しはじめたことをきっかけに、幕府によって朝鮮人参座という朝鮮人参を輸入し販売する座を創設し、高麗人参は高値で取り引されました

高麗人参の輸入は対馬藩を経由して輸入され、江戸へ運ばれました。この高麗人参にだけに使用される「人参代往古銀」という特別な銀貨ができるくらい江戸では高麗人参ブームが巻き起こっていました。

希少価値が高い高麗人参を入手するためには「娘を売る」「盗みを働く」といったことも横行し、町中では「人参飲んで首くくる」とか「孝行は薬の鍋へ身を投げる」といった時代を読む川柳まで流行したそうです。

高麗人参を愛用していた将軍④『徳川吉宗』

豊臣秀吉の時代から続けられてきた高麗人参の栽培についてやっと成果が出始めたのは8代将軍、徳川吉宗の時代に入ってからになります。徳川吉宗は国内での高麗人参の栽培を広く推奨し、積極的に栽培を始めます。

このときに初めて「御種子人参(オタネニンジン)」という名称が使われるようになり改良が加えられ、江戸時代後期には野州・松江・会津などに伝わったことで栽培が盛んになっていきます。

世界からも注目されるようになった「高麗人参」と日本の歴史(近代~現代)

先生うさぎ

明治時代の高麗人参の需要は少し低下してきます。西洋医学が流入したことが原因にあります。高麗人参は長期的な服用で効果が現れるのに対し、西洋医学では短期間で効果が現れここから医学薬品が発達していきます。

そして日露戦争後に中国へ輸出が増加し、その後の戦争でも生産量が低下していきます。昭和25年の朝鮮戦争に突入すると、高麗人参の韓国での生産量が激減したことで、需要の高い中国へと高麗人参の生産が広がります

その後、西洋諸国のヨーロッパからも高麗人参が脚光を浴びるようになり、世界的に高麗人参の需要が拡大していきます。

そして1985年にドル高の是正のためにG5(米国、英国、旧西独、フランス、日本)の5カ国蔵相会議によって可決されたプラザ合意により円高となったことで、国内の高麗人参栽培農家は減少し、現在9割以上が中国からの輸入となり国内産の高麗人参はごくわずかとなりました。

未だに高麗人参が希少な理由として国産では栽培の難しさに比例し高値になってしまうことも要因のひとつといえるでしょう。

将軍たちから受け継ぐ長寿食品

嬉しそうにする女性

高麗人参の成分や効果は科学的に証明されるようになったのは1960年代になってからなのでここ最近の話しです。それでも、はるか昔からその薬効は評価され、その時代の将軍たちへと引き継がれながら今日に至っています

特に、江戸時代における高麗人参ブームを巻き起こさせた徳川家康本人が、当時の平均寿命をはるかに上回る形で生涯を終えたという事実には驚きますね。

高麗人参は今となればサプリメントなどで手軽摂取できるようになっています。健康維持と長寿パワーを体験するため、将軍気分で高麗人参のサプリメントを摂り入れてみるのもいいですね。

高麗人参の歴史まとめ

高麗人参が日本にやってきたのは1200年以上も前で、その栽培については戦国時代の豊臣秀吉から始まり徳川家康も苦戦しました。

それでも徳川家康が平均寿命を30歳も超える超人的な長寿記録で生涯を終えることができたのは、希少な高麗人参を肌身離さず愛用し続けたからかも知れません。

その後も何人もの将軍や大名に受け継がれていたという歴史を日本人はあまり知らない事実です。現代の私たちは医療や健康維持における選択肢はたくさんありますので、東洋医学である高麗人参は継続的な健康のために摂り入れ病に対する抵抗力を高め、万が一風邪や病にかかってしまったときには西洋医学である医薬品を使うなど使い分けていくのが一番おすすめです。

まずは先人に習い高麗人参を摂り入れて毎日の健康維持と長寿パワーをアップさせてみてはいかがでしょうか。

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